ようするに

コミュニケーション能力なるものと醜活就活(まぁ印象論)

音ゲーに例えると、全くの音ゲー初心者に社会に出るためには弐寺の六段を取る事が必須条件だ!って言われているようなものなんだろうと*1。少なくとも非モテ、鬱側の人間が抱く印象としては。


基本的に弐寺というのは一般人にはおっそろしく敷居が高いように見える上、普段プレイしているのは大抵六段以上の「上手い」ユーザー*2。その間に入ってプレイする勇気は中々起きない。そしてゲームだったらやらなくてもいいという話だが、社会はやらないわけにも行かない(大半の人間に取っては)。

展開やめた

しっかしね

本田透センセの話とも重なるけど、所謂「普通」と言われている事がやろうにも出来ないと感じている人に、「普通な事をやれ」という説教はかなりアウトなんじゃないかなと。いや、自分の良心を傷つけたくないから「あきらめろ」と簡単には言えない人が大半なんでしょうがね。


真に怖いのは絶望ではなく少しばかりの希望とな…。


でも

本田センセ並の絶望を経てきた人にこそ、護身完成は説得力があるわけで…。俺君みたいな、「やる前絶望組」は、彼の思想にまだ共感してはいけないのかも知れない。

というわけでもっと絶望をくれー

VIPで軒並み上がる「はい3人組になってねぇ」スレとか、その気があるように。



♪何をそんなに嬉しそうに〜傷口広げなくてもよかろうにぃ(稲葉浩志:そのswitchを押せ)

*1:やらない人に取っては全くわからん例え

*2:日常的にやっている人間に取っては六段は全く凄いことでもなくて普通の人扱い