涙雨に通じる諦めの心

 と取った。

 よく言われるケータイ小説の主人公は自分では何もしないという話。


 何やっても駄目という何か深い諦めの境地に近い気がする。



 例として引用。主人公と乱暴な男。んでその男が好きな主人公の友人。主人公はその友人に「頑張れ」って励ますんだけど、男は主人公に対して好意を抱いていて、ある時強引に主人公に言い寄る。その現場を見た主人公友人は寝取られたと勘違い。んでその後のシーン。

「そもそもあたしはあの男は乱暴で好きじゃないし。付き合うとか考えらんない」


するとまりえは地面に座り込み、鼻をすすり出した




「もういいって…!!昨日キスしよーとしてる場面見ちゃったら、もうあすかの言ってる事が嘘にしか聞こえないし…」


キ…ス!?


「そんなの…!しよーとなんかしてないって!!」



まりえの顔が
どんどん歪んでいくのが分かった



「だって見たもん、はっきりとぉ…」



まりえは昨日の事を思いだしたのか

そのまま泣き出してしまった



膝を抱えてしゃがみ込むまりえをさちが必死になだめている




何、これ…?


どうしてこんな事に…


どうすればいい?
どうしたら信じてくれる?



あたしは泣き崩れているまりえを立ったまま眺める事しか出来なかった



3対1だと
あたしが何を言っても

説得力はないんだ

(ケータイ小説版、33p)


 諦めるんだよね。主人公は箱から外に出られない蚤のように*1。もの凄く早く。
 んで、この後彼女は恐ろしくまぁひどい仕打ちというか、ケータイ小説のテンプレのような事をされるわけ。
 その時にもボコられた後に脳内でポエム作ったり、どうしようもないと泣いてみたり、嫌いだったはずの男に「恋してる」と思い込む事で依存したり。


 こういう作品を見る人が主人公を「頭悪い」としたり、「自助努力が足りない」とか、「ただ流されるビッチ」として哂う心情はわかるのだけど、自分に対して「どうしようもないよね」って思ってしまったら、それでも生きていかなければならないならば、宗教なり何なりで救いを見出すしかないじゃないか!って話でもある。彼女たちに取っては、それが恋愛という話であって。ちょっと僕にはそれに対して反吐を吐く気にはなれないんです。


 ってかこれしか読んでいないので「売れてる(重要)」ケータイ小説全てについて言う事はできないんだけど、まぁ一つの例として。

*1:蚤を箱に閉じ込めて蓋をする認知的不協和の実験の話。しばらくして箱を取って蚤が外に出られるようにしても、それらは外に出ようとしないというエピソード